chibinova

常々公言していることだが、わたしは重度の菅野信者である。いわゆる月厨や鍵っ子と同等か、それ以上に盲目的であり、絶対的な忠誠を誓っていると言っても過言ではない。2ちゃんねる風に言えば、菅皮である。初めてプレイしたのは『DESIRE』。ロープレに慣れていたわたしは、よく批判されるシナリオの冗長さをも感じることなくプレイできた。そして、エンディング。もうね、あほちゃうかっていうぐらい泣きましたね。で、『EVE burst error』をやって。とどめに『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』。終わった時、体中に震えが走った・・・寒気がした。一ヶ月ぐらい、立ち直れなかった。まあ、刷り込みと言ってしまえばそれまでなのだろうが。で、年々、高橋龍也蛭田昌人の名前すら、「誰それ?」化していくのを肌で感じるようになり、なんとなく所在ない感覚を覚えるようになってきた。ただ、ゲームは、その性質上どうしてもテクノロジーの進化と抱き合わせであるメディアであることも否めなく、年々すごい作品がリリースされるのを見るにつけ、ユーザーやソフトハウスをひっくるめた"シーン"が、まるで生き物のように脈動し、成長(って言ってしまうとおこがましいのだろうけれど)していってるのだなあと感じる。この手のゲームは、まだ歴史が浅い。黎明期から、ほんの10年足らずしか経っていない。この先にも、我々の心をえぐるような重みを持った作品は、まだまだ出てくるだろう。わたしはそのゆく先を見届けたいと思う。だが、菅野ひろゆきがわたしの心に残した痕もまた、一生拭い得ないだろう。